因果応報

「因果応報」とは、元来、仏教の教えである。今起きている現象<結果>には必ず過去の理由<原因>が存在する。大根の種を蒔けば必ず大根が実るのであって、偶然にスイカが実ることはない。よって、仏教では善因善果悪因悪果といい、善い種を蒔けば良い実りがあり、悪い種を蒔けば不毛の結果を招くと教えている。さらに善因楽果悪因苦果といい、善い行いをすれば心は満足感で晴れ渡り、悪い行いをすれば心の呵責に苦しめられるといった具合に、たとえ表面上に現れなくとも行いの結果は心に現れるとしている。ここまでは哲学や物理でいう「因果律」と同じ道理である。

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しかし、超複雑化した現代社会においては「何の因果でこんなことに…」と事象の因果関係を特定できないことが多い。とりわけ、地震や干ばつなどの天災、いわゆる不可抗力をどう説明するのか。諸説あるも仏教では「前世の業」の「因縁」による宿命と説くのが主流のようだ。「業」とは行いのこと、因縁の「因」は直接要因で「縁」は間接要因(条件)と解釈できる。もっとも「前世」が存在すればの話だが。ちなみに、キリスト教圏では「不可抗力」のことを“act of God”(神の行い)と表現する。洋の東西を問わず、科学で証明できないことは神仏が解決してくれることになっている訳だ。

さて、何の因果かわからぬが、この度広大な農地を借りることになった。善因善果とすべく善い種まきをしたいと思っている。とりあえずは枝豆ですか?

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 (とりあえず生中のSakai)