オヤジ族のボヤキ スマ~アホ!

私は、スマホという響きがアホっぽくて嫌いなので省略のセオリーに従い「スマフォ」と呼んでいる。そんなオヤジ族が、この先の人生でスマフォを使うことはまずないだろう。

時代をさかのぼること四半世紀、自動車電話から派生した携帯電話は国語辞典ほど重く大きかった。しかも、ショルダー掛けで携行したバッテリーの重さは広辞苑なみで、維持費も重く月10万円以上、ビジネスマンのハイエンドステイタスだった。

それからわずか数年、超小型化と低価格化により携帯電話はビジネスマンの必需品となっていった。

ところが、それから約10年、電話ならぬmailという余計な機能が進化したせいで、主婦や若者の間に爆発的な普及をみせ、気がつけば女子高生たちにその主導権の座を奪われてしまっていた。さらに10年、インターネット接続を利用したtwitter、LINE、ゲームといった不必要な機能がどんどん追加され、昨今のiPhoneやスマフォの登場により、高性能カメラやメディアプレーヤー、モバイルバンキングやお財布機能、GPSと連動したナビゲーションシステム、そして音声入出力による通訳機能まで搭載するようになった。もはや携帯電話は電話ではない。

かたや、中途半端なオマケ機能で携帯会社の策略に踊らされることを拒んだオヤジ族は、あえて利便性を捨て、単一高性能を求めた。例えば、mailは指10本で叩けるコンピュータを使い、SkypeがあればLINEは要らないし、カメラはデジタル一眼レフが常識、音楽はアナログ音源をJBLクラスのスピーカーで聞かないと耳が満足しない。

したがって、携帯電話は電話機能さえあればそれでいい。我々オヤジ族は、間違っても女子高生と同じツールを使ってはいけないのである。               (Sakai)