教育か調教か?

「パブロフの犬」は、犬にベルを鳴らしてから餌を与えることを繰り返した結果、ベルを鳴らしただけで唾液を出すようになったという有名な実験だ。つまり、動物には、生まれつきの本能行動(無条件反射)に加え、学習によって新たな適応行動(条件反射)が備わることを証明した実験である。パブロフ説によれば、本能、適応の両行動とも定型的で無意識の反射連鎖に基づくものだとしている。

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また、これらの行動の成果として生理的報酬(食欲、性欲、睡眠欲などを充たす)がもたらされることが条件となっている。調教の原理がそこにある。

「人間には教育、動物には調教」との認識が本来であるが、時に人間に対しても調教が必要だと私は考えている。なぜなら人間もまたヒトという動物だからである。ただし、ヒトは他の動物とは桁違いの学習能力を持っているため、その分、生理的報酬を得るための適応行動が複雑高度化し、ひいては生命を維持するための報酬が、逆に命を脅かすものになることもある。

たとえば、喫煙や飲酒がイライラを解消すると教わり、それらを常習するようになったが、やめたくてもやめられない人。このような依存症の人はどこにでもいるが、節度をわきまえないと命が縮まることを今さら再教育しても、既に適応行動が出来上がっているため体がいうことを聞かない。したがって、それを克服するためには古い反射連鎖を一旦断ち切り、新しい反射連鎖を作り直す必要があるのだ。すなわち、再調教である。医学界ではそれを「条件反射制御法」と呼び、既に薬物依存症等の治療に取り入られている。

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ところで、朝に一日分の食べ物を与え「朝三暮四」で食べなさいと日々言い聞かすも、いつも「朝七暮零」になってしまう利用者がいる。今彼に必要なことは教育か**調教か・・・?

**人間に対して調教とは何事か?との一般的ご批判はごもっともですが、それは「条件反射制御法」という非日常の世界をご存じない方のおごりだと思います。悪しからずご理解ください。

Sakai