~Dr.倫太郎はいないのか?~

現代人が抱える心の病、傷ついた心にとことん寄り添うことで、その病める心を次々と解きほぐしていく精神科医のストーリー。「Dr.倫太郎」というTVドラマ(6月に放映終了)にはまってしまった。

仕事柄、利用者を通して複数の精神科医と接触している日常であるが、現実とドラマとのギャップは大きい。現実をみると、たとえば、薬の切れ目で月1~2回程度通院をしている利用者(患者)に対して、診療時間は長くて10分、短いときはわずか10秒で終わる。「調子はどうですか?」「特に変わったことはありませんが…」「それじゃまた2週間後にきて下さい」という具合に。

そして、大量の向精神薬。薬袋にはスナック菓子でも入っているのか!? いや、そのほうがまだましだ。なぜなら、毎日、向精神薬を飲み続けている患者の大半が激太りしているからだ。それでいて、病状に変化がない、または一向に好転しない。ならば、月に一度、かっぱえびせんをもらって食べたほうがよっぽど心身の健康に良いではないか。

かたや、Dr.倫太郎は時間を考えず患者の話を丹念に聞く。そして、原則薬は出さない。何よりも患者に信頼されている。逆に医療報酬など考えていないから、常に病院側と対立する。なぜなら、彼は精神科医である前に精神分析家だからだ。

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しかし、フロイトから受け継がれてきた精神分析学は、日本では社会的地位が低い。いい例として、臨床心理士は未だ国家資格ではない。したがって、彼らは精神科医の助手的な働きしかできないのだ。ひいては国家資格であるケースワーカー(精神保健福祉士)の立場も同じだ。このように、現実は依然としてDr.倫太郎ならぬDr.金太郎が権力を握っているのである。それは、とりもなおさず介護福祉業界と医療業界との力関係といえる。

そもそも、精神疾患と精神障害との違いは何なのだろう。一般論では、疾患は医療的措置が必要な状態、障害は個人的、社会的に介助・支援が必要な状態、である。しかし、現実には双方のダブりは多く、それらの定義区別がどうあれ、患者や利用者が個人的・社会的自立を果たすために何が必要かを周囲の人たちが真剣に考えてあげなければならない。

私たち福祉従事者は、日々利用者と向き合い、その動向を観察している。対して、月に5分や10分程度しか診察しないDr.金太郎に患者の何が解る!? と言いたい。

ところが、そんな医師が書いた1枚の診断書こそ、私たちが行う支援のスタート地点なのだ。そこに介在するはずの行政も盲判係に過ぎない。ここに障害福祉サービスの大矛盾がある。

(Sakai)