ヘルパーはセンスだ

利用者の実習先での話。常に現場を仕切る社長が利用者に竹ぼうきの使い方を教えていた時に、鼻唄混じりにつぶやいた。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ、かぁ」と、矢継ぎ早に「職人の技は目で盗め」と、次第にその声が大きくなるや否や「バカ野郎!お前も指導者なら、社長の気持ちを読んで、先回りして動けよ!」と、私の顔をにらみながらボヤいたのだ。つまり、次からはお前が指導しろということだった。半端なく口の悪いその社長の言葉が、なぜかとても小気味好くて、しっかり脳裏に焼きついてしまった。
考えてみれば、情報産業が製造業を制し、マニュアル至上主義が横行する現代社会において、一般には「やってみせ・・・ほめてやらねば・・・」は、すでに死語なのかもしれない。しかし、相手が障害者ならばどうだろう。これは、動機付けの常套手段ではなかろうか。

次に「目で盗め」即ち「言わず教えず」などは時代錯誤もはなはだしい。しかし、相手がベテラン職員ならばどうだろう。これは、現状に流されることなく新たな動機を喚起させるための有効な一句ではなかろうか。老いてなお気骨あるその社長の言葉には、人の心理を高揚させるインパクトがあったのだ。
さて、福祉の経験は浅いが職人歴約30年の間に培った自分なりの鉄則がある。職人でも職員でもよろしいが、それなりのセンスがないと、その職は務まらないということだ。

では、センスとは何か? 速やかに物事を覚える理解力であり、冷静に物事の本質を見抜く洞察力であり、次々と物事に対処する応用力であり、自ら物事を構築する独創力である。それらが総合的に顔や言葉からにじみ出てくるもの、それがセンスである。必ずしも資格や経験年数ではない。そして、センスはマニュアル(教科書や指示書)によって身に付くものではない。また、一朝一夕で身に付くものではないが、逆に徒弟制度でよく言われている最低10年の修行がいる代物でもない。つまり、受身姿勢では決して身につかず、常に「自分で考え」、時には人の言動を「目や耳で盗む」ものである。これだけは言える。「いい職人はセンスもいい」
では、ヘルパーは職人か? 「はい、それ以上です」と自分自身に言い聞かせている。なぜ、ヘルパーが職人以上なのか、その理由は二つある。

一つ、一般に職人はモノを相手とするが、ヘルパーは人を相手とすること。

二つ、ヘルパーは社会的弱者を幸せへと導く教育者であること。

逆説的に二つだけ悪いヘルパーの例をあげると、一つ目は、センスが乏しすぎるせいで利用者がなつかないヘルパー。センスのなさを利用者に見切られている証拠である。二つ目は、利用者の心身よりも自分の身を案じてしまうヘルパー。利用者本位という職務ポリシーから本末転倒している。
「やってみせ・・・人は動かじ」は山本五十六の名言であるが、その続きをご存知だろうか。
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

 もし、彼が一介の軍人ではなく政治家だったなら、不要な戦争など起きなかっただろうに。

 (Sakai)