「現象には必ず理由がある、 かもしれないが・・・」    ~後編~

事例比較

 ここでもし、ギャンブル依存症の人からお金をねだられたとき、金銭管理を任された支援者がとるべき言動はどれか、過去のケーススタディから私見を書かせていただく。

1.「精神科に行って診てもらいなさい」と治療を勧める。一番簡単な方法だが、依存症の当事者は自分が病気であることに気が付いていない、もしくは認めようとしない傾向にあり、素直に勧告に従うことは少ない。仮に勧告に応じたとしても日本の精神科医療のレベルでは薬物療法が関の山。一時的には衝動性が治まるかもしれないが、所詮、対症療法でしかなく根本解決には至らない。それにもまして、リスクのほうがよほど恐ろしい。副作用として、自殺を招きやすい「うつ病」を誘発するばかりでなく、少なからずは薬物依存症に陥り脳がいかれてしまうのだ。一般的に福祉施設がやりがちな医療への誘導は、ほとんどの場合こういった負の連鎖という最悪の結果をもたらす。したがって、よほど信頼関係の強いドクターがいない限り、これはやってはいけない。

image005

2.「どうせ当たらないんだから宝くじなんかに無駄金を使うな」と財布のひもを締める。まず「どうせ当たらない」という言葉に科学的根拠がない、つまり本人は一度当てているのだから。次に「無駄金を使うな」、宝くじを買うためのお金は本人にとって無駄ではない。よって、なんの説得力も持たない。むしろ欲求を否定された本人にストレスがたまり、かえって「宝くじを買いたい」という衝動をあおるだけだ。したがって、この否定的指導は逆効果である。

3.「いいよ、当たったら賞金の半分返し、当たっても外れても貸した元金は倍返しね」と言ってお金を貸す。借りたお金は返さなければいけない。そんなことを続けるうちに借金はどんどん膨らみ、返せなくなってくる。すると、生活に支障をきたすようになる。そこで初めて妄想から覚めて自身の現実を見るのである。簡単にいうと、誘いにのったふりをしてどん底に突き落とすのだ。で、そこから先は這い上がるしかないわけで、上手に救いの手を差しのべてあげるのだ。 「これでいいのだ!!」

image007

しかし、本当にそれでよいのだろうか?

そもそも何が問題なのか

話は後先になったが、そもそもギャンブル自体が悪いわけではない。喫煙、飲酒、性風俗・・・それらも同様、欲と快楽にかまけることは人間本来の権利である。ただ、そこで依存症に陥り、社会生活に支障が出てしまうことがよろしくないのである。いや、さらに翻って考えれば、「依存症のどこが悪い?社会生活に支障があって何が悪い? 障害者も健常者も皆それなりの問題を抱えて生きている。全ては当事者自身の問題であり、本人が良しとすれば全てそれで良し!」 とどのつまり、「べてる式非援助論」のように問題そのものを肯定してしまうのは短絡的だろうか?

ドラマ「ガリレオ」で、「現象には必ず理由がある」と強い信念を固持する湯川教授が、「僕がこの事件の真相を暴いたところで誰も幸せにならない」と口走ってしまうシーンがあった。

image009

究極的に人間の幸せとは理由を特定できない曖昧なものである。

(Sakai)