・・・飛雄馬が小学生の頃、日課である早朝ジョギングコースの途中に工事中通行止があったので近道に迂回したところ、曲がり角で父一徹の鉄拳をくらってしまう。それどころか、鼻血と泥まみれになった我が子をさらに何度も蹴りまくる父。そして、血だらけで倒れている我が子に向かって鬼のように言った。“つらい遠回りを選んでこそ人間は成長する”・・・
「巨人の星」にたびたび出てくる回想シーンである。これぞ、児童虐待!一見、滅茶苦茶に思えるが、当時は単なる“スパルタ教育”の父親像であり、むしろ、そんな父一徹にあこがれる少年たちさえいた。なぜならば、次のような一節へと回想が続くからである。
・・・千尋の谷へわが子を突き落とす百獣の王ライオン。その心は、百獣の王にふさわしいライオンに育てるために、心で泣きながらもあえて厳しい鬼のような態度を示す父親の愛情である。・・・
原作者梶原一騎の自己満足ともいえるこのシーンに、少年たちの心はメロメロになったのだ。そして、父であり師でもある一徹は、敵に打ち勝ち生き残るための“特訓”を我が子飛雄馬に叩き込むのである。
余談だが、「巨人の星」が産んだ特訓のなかでも群を抜いて少年たちに支持されたのは“大リーグボール養成ギプス”であろう。今やれば完璧な児童虐待となるその養成ギプスを自ら身にまといたい余り、エキスパンダーを改良して親父にコピー品を作らせた猪口才な少年は私だけではなかったと思う。
一方、主人公の大リーグボールに対抗するためライバル「花形満」も鉄バットと鉄ボールを使い体がボロボロになるまで特訓を行う。そして、花形は対決に勝ったものの即病院に運ばれる。この辺まで来るともう既に“特訓”が一人歩きし始めるのである。しかも、限りなく自虐的となっていく傾向が見られる。
父子で始まった“特訓”は“対決→敗北→復活→次の特訓”というサイクルの中で、いつの間にか“男を成長させるのは、味方との融和でなく、強敵との死闘だ”という“人生哲学”にすり替わっていくのである。
そもそも、主人公の名「飛雄馬」は“human”から採ったといわれ、その物語にはさまざまな人間模様が織り込まれている。 “根性”にまつわる激辛ものが中心であるが、そこには“いじめ、虐待、体罰、暴力”の文字は見当たらない。
(Sakai)