「現象には必ず理由がある、 かもしれないが・・・」    ~前編~

向精神薬を常用するとメタボリック症候群に陥る確率が高い。この現象には、抗精神病薬の一部に食欲亢進および糖脂質代謝異常を引き起こす作用があるという理由が存在する。

メタボリック症候群の必然性

一般的に摂取カロリーが消費カロリーを上回ると体重は増加する。仮に摂取と消費の釣合いがとれた状態から、1日コーラ500ml(240kcal)を1ヶ月間飲み続けると1kg(7200kcal)体重が増える。これは、なるべくしてなった「必然」である。1㎏太ったという現象には、1日240kcalx30日間の摂取オーバーがあったという明確な理由が存在する。

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逆に体重を元に戻そうとするならば、例えばコーラをお茶に替えて1日1時間の散歩を30日間続ければよい。これは、体重100㎏超のメタボさんに向けて日々発しているダイエットの基本セオリーである。もしも本人がその理屈に気付いて、そのまま行動に移すことができたなら、1ヶ月間で7200kcalの消費オーバーとなり体重は1㎏減少する。このような必然性のことを仏教では因果応報、また自然科学では因果律と呼んでいる。これら因果の法則は、人の行いを制する規範として我々の日常生活で用いられ、医療・福祉の現場では認知行動療法等の中で少なからず用いられている。

ギャンブル依存症の偶然性

ところが、世の中で起きている全ての現象に理由が存在する、即ち因果関係が存在するかというと決してそうではない。簡単な例でいえば、宝くじ。それをいつどこで買っても当たる確率は同じである。例えば、運勢がいい日に買う、よく当たりが出る店で買う、買った宝くじを神棚に置く・・・など、いかなる手段を講じようとも、確率が変わることは絶対にない。ゆえに、もしも大当たりしたとすれば、それは全くの「偶然」であり、偶然に起きた現象に理由は存在しない。無論、運勢がいい日に買った・・・などとの因果関係はゼロである。だが、その偶然を一度でも経験した人は自分の将来に注意が必要だ。例えば「今日の運勢は最高だから宝くじを買うときっと当たります」とか「7億円当たったら1億円差し上げますから」とか調子のいいことを言ってお金をねだる人の十中八九はギャンブル依存症に陥っている。

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まず偶然がきっかけで一度快楽を味わうと、つらい現実に目を背けて、また次の快楽を求めたくなる。たまたまの偶然が次も起こるという錯覚にとらわれるのである。そして、科学的根拠のない占いを信じたり、当たった時の夢を見たり・・・で、心は妄想の世界に入ってしまうのだ。しかも、「宝くじは買わなきゃ絶対当たらない」という自分に都合のよい必然性だけを主張するようになる。もはや本人の力だけでは元に戻れない状態だ。

実は、かつて自分自身が当事者だったことがある。相場でたまたま儲かった。次買えばさらに儲かる・・・。いつのまにか偶然が必然にすり替わっていく。儲かったからではない、買い続けたから依存症に陥ったことを、その時の自分は気が付いていなかった。     後編に続く・・・  (Sakai)

心の叫び 前編

~ ミッチーの妄想日記 ~ 

こんにちは、突然ですがここで僕のいつも思い描いている事と希望や夢みたいなことではありますが僕の妄想なのであしからず、ここであえて書いてみます。これは愚かな馬鹿な考えや思い込みの激しい僕のいつも思っている事ですが、僕の心の捕らえ方や感じ方なのでそこは気にしないでください。

んで、今でももっといろんな障害を持っている方で、多くの色々な障害に苦しんでいたり耐え難いつらくて激しい痛みや心の波動が下がったりずれたり神経が疲れたり過敏になり過ぎたり、たくさんのつらくて苦しい病気の症状や大変に大きなつらくて悲しくなる人を、見下して上から目線みたいな偏った物の見方の偏見など多きく深い悩みとか、つらくて自分も周りの人等も信じられなくなって,夜も眠れないくらいに疲れていて、つらくて苦しいけど他の人にも頼れなくて人に迷惑もかけたくないような衝動と行動の悪循環で心の病とかの大いなる苦しみの中にある大きな差別などと不機嫌になる偏見の事等で苦しんでいる人達にも優しい言葉やサポートやふれあいやコミュ二ケーションなど、言葉や筆談やジェスチャーなどの手助けや相談に乗ること等、話すこととか感じてみてその場の雰囲気や笑顔で話し、いろいろな悩みや苦しみに手助けやサポート等や、話して聞いてもらいたいこと、葛藤などに日々苦しんでいたり体のつらい痛みや心の乱れや疲れ、本当の根深い解ってもらえないところ等の奥深くて真実や真相のところのカルマとカオスのとてつもなく強い重い衝動と不安と恐怖の根本的にある大きな心の叫びとか、根深く辛くて苦しい心の痛みや苦しみ、悲しみや断末魔のような叫びとか、人をどうにかしたい強くて激しいクレイジーで狂気じみた行動に駆り立てたり走らせたり暴走させる感情に心が支配されて「もうどうでもいいや」とか「何にでもなれバカヤロー」みたいな感情と衝動に突き動かされそうになるし、ヤバい感情と異常な怒りや、なにもかも破壊してみたい心の不安定さゆえの感情と行動と強い悪魔な心などを抱いていてわかってほしいという気持ちと、誤解だから信じてくれ・・・という気持ちとの心の叫び、心の奥底にある暗くて根深い闇のようなところの心の中の衝動的な態度と精神を早めに理解して対処してほしいのと、病気に対する人たちの大きないろいろな悩みや大きな先行き不安でとてつもない大きな不安と迫り来て耐え難い心の痛みや疲れや大きな体の痛みと悩みと不安な要素などや現実的な実情と現実の大きなアンバランスの不確かな日々との戦いでもあり、世の中におられる多くの障害者の人達にも理解を示して寄り添ってくれて一緒に助けてくれたり優しい声かけと行動で僕たちにもすごい優しい態度と対応で、もっと理解のある社会にして欲しい事ですし、いろんな人の大きくて悲しすぎる差別や不適当な、僕たちを見下して馬鹿にしてる態度や仕草や顔で間違った先入観や激しくて拒否するような態度と、嫌そうな顔や思い込みや侮蔑的な目で見ていて馬鹿にしている態度や仕草や顔をして偏見的な目で決め付けて見ないでほしいと思います。それはとても僕達からするとおかしいですし、それはとても悲しくて悔しいことです。

思い切り馬鹿にしている事でもあります。だからそんなことが今でもすぐに消えてなくなって欲しいし、同じ一人間なんだし、人権もあるし、弱くて不完全な人たちもいるし、気も弱くて失敗の多い人生だし、いつかは一人で自律もしたい人たちだけど優し過ぎる人間でもあるから、そこは臨機応変に寄り添っていただきながら共存共栄みたいに優しく対応してもらい、少し大目に見ていただいて長い目で見ていただきながら日々の生活を送りたいし、優しい声掛けや穏やかでやさしい態度とあふれるような笑顔「スマイル」で接して背中をさすったり、肩や手に触れてもらいながら励ましたりしてもらいたいのです。        後編に続く・・・

( 文:ミッチーさん  校正:H. H )

※不適切な表現部分と固有名詞等の明らかな誤変換の修正をした以外は ほぼ原文のまま掲載させていただきました。          ( Hiro )