セルフオペレーティングシステム

ちまたでは、「ポケモンGO」に熱中するあまり衝突事故や不法侵入が頻発しているようだ。ただでさえ街角の「歩きスマホ」が問題視されている昨今において、全く人騒がせな「バカモンGO」である。このような社会現象は、コンピュータIT技術をベースに急速な進化を続けるAR(拡張現実)やVR(仮想現実)技術に、人間が振回されているために起きていると考えられる。つまり、スマートフォンやゲーム機をコントロールできる人間が、逆に自分をコントロールできなくなってしまったのである。リアルとバーチャルをシンクロナイズする技術は、今後ますます人間の社会生活に浸透していくだろう。懸念すべきは、人間の判断力や想像力がコンピュータ技術と反比例して退化していくことだ。そして、知らない間に全ての人間は仮想現実の世界に生かされている?? コンピュータが人類を支配してしまう「MATRIX」は映画だけの世界であって欲しい。

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▽無意識のバーチャルリアリティ

さて、障害福祉施設には、自分の意思とは無関係に日々、バーチャルリアリティを体験している利用者がいる。我々には見えない世界の人に話しかけたり、一緒に笑ったり、喧嘩して怒ったり、説教されて泣いたり、見たこともない絵をかいたり…。統合失調症に見られる日常的な幻覚・幻聴・妄想もまた、リアルとバーチャルがシンクロする世界のようだ。ところが、時々リアルとバーチャルの間に著しい矛盾が起こると、彼らは、無意味な奇声を発したり、床や道路でのた打ち回ったりする。コンピュータに例えるとシステムクラッシュだ。あるいは、まれに精神活動がストップしたかのように固まることもある。例えるとフリーズだ。彼らのこのような行動は、現実空間と仮想空間を同一視していることの証である。即ち、彼らにとっては、全てが目の前の現実として起きていることなのである。

▽コンピュータと人間

クラッシュやフリーズが起きたとき、コンピュータならば先ずリセットを試すのがリカバリーの基本だ。だが、人間にはリセットボタンがない。「そんな当たり前のことを…」と思われるだろうが、そこが人間とコンピュータの本質的な違いなのだ。つまり、人間にボタンがないのは、自分自身でリカバリーが行えるからである。かつては「コンピュータ、ソフトなければただの箱」と言われたように、コンピュータはOS(オペレーティグシステム)をインストールするところから始まり、逐一コマンドを与えないと動いてくれない。当然、リセットボタンを押すのも人の手だ。

対して人間は、未熟ではあるが生まれつきのOS、即ち「意思」を持ち、その処理能力は低く、記憶容量も小さく、正確さに欠けるかも知れないが、自分で学習し、見識を広め、目標を設定し、必要なスキルを習得することで、自身をバージョンアップする能力が備わっている。だから、時々失敗や挫折をしても、いつかは自身をリカバリーできるのである。さらに、過去の経験から未来を予測する想像力や新しいデザインを描いたり新しい音楽を作曲する創造力など、コンピュータとは比較にならない高いポテンシャルを持っているといえる。

そんな人間の「意思」は、「セルフオペレーティングシステム」と名付けて差し支えないだろう。ただし、そのポテンシャルを活かも殺すもその人自身であることを忘れてはいけない。なぜなら、人間の意思は本来自由であり、そこにセルフコントロールが働いて初めてセルフOSとして機能するからである。例えば意思の「意」は理性という意識の領域、「思」は感覚・感情という無意識の領域、そう考えると解りやすい。どちらが正しいとか良いとかの問題ではなく、善くも悪しくも人間の意思には、常に意識と無意識が隣り合わせでいるのだ。

▽現実は映画より奇なり

統合失調症の激しい強迫観念や幻覚・妄想と闘いながら、ノーベル賞受賞の偉業を成し遂げたアメリカ人がいた。天才数学者ジョン・ナッシュの半生をモデルにした映画「Beautiful Mind」では、妻アリシアが、セルフコントロールを失った夫ジョンの闘病生活を支えるという献身的な姿が描かれている。とはいえ、彼女が夫にしてあげたことは、病気を治すことよりも研究に復帰させるための支援だった。なぜなら、かつてジョンの教え子であったアリシアこそが、彼の才能と病気の両方を知る最大の理解者だったからである。彼女の助けを得たジョンは次第にセルフコントロールを取り戻し、彼が確立したゲーム理論の経済学への応用から1994年ノーベル経済学賞を受賞(映画はここまで)、さらに2015年5月には数学者だけに与えられる最高賞アーベル賞を受賞した。ところが、オスロで行われたその授賞式からの帰路で交通事故に遭い、二人は波乱の生涯の幕を閉じた。現実は映画より奇なり。想い出すにつけ涙あふれます。

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私は支援者の端くれとして、この実話から大切なことを学んだ。我々の仕事は、利用者の過去を振り返り現在をリカバリーすることではなく、現在のポテンシャルを未来につなげていくこと。即ち、「ベクトルは前方にのみある」ということである。しかし一つ心配なのは、アラカン(around 60)に突入した私にその力が残っているかどうかである。セルフOSのいたる所にバグが生じ始めている。さしあたり「ぼけモンGO」と言われないように気を付けよう。  (Sakai)

お詫び:文中ところどころに人間と機械を比較した記述があります。精神障害で苦しんでおられる方々にははなはだ失礼なことと思いつつも、あくまで一般の方に解りやすくという趣旨からですので、どうかご容赦いただくようお願いいたします。