お月見団子

昨日、9月15日といえば、(15夜お月見)ということで、お月見団子を作りました。

2階から、道生さん、裕信君が、団子作りに、参加しました。

裕信君は、団子作りは、楽しかったと話しています。

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道生さんは、笑顔で、団子作りしていました。

オンリーワンからナンバーワンへ

  • ホスピタリティな運動会

スポーツの秋、「ナイスハートふれあいのスポーツ広場」と題して、障害のあるなしを超えたバリアフリー運動会が各地で開催される。これは、自動車総連メンバーが自ら集め始めたカンパを基に、「スポーツを通じてハンディキャップをもった方々と自動車産業に従事する組合員とがふれあいを深め、『自立の心と思いやりの心』を育むことを目的として」1992年にスタートした行事である。

参加者全員にお弁当とTシャツが配給されると聞き、我が施設は4年前に初参加した。回を重ねるたびに感心するのは、配給品よりもおもてなしの心だ。会場設営から受付案内と救急班設置、競技説明、進行、アトラクション、会場撤去とゴミの片付けまで、50名を超える若いスタッフたちには、参加者に一切負担をかけない必至の配慮が見える。そして、それなりに障害者のことを勉強して臨んでいることが何より頼もしい。しかも休日返上のボランティアだ。

最後にスタッフ全員が、参加者一人ひとりを笑顔と拍手で見送る退場の花道をつくる。そこを歩いていく間、心が洗われていく思いがして涙が出そうになるのである。ホスピタリティとは何か。それを本分としているはずの我々が、モノづくりを本分とする若い彼らから、恥ずかしながら教わっている気がする。

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  • もともとのオンリーワンから特別なオンリーワンへ

運動会終盤、♪ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワ~ン♪ この曲が流れると参加者スタッフ全員が手と手を携えて大きな輪を作り、フォークダンスのように曲に合わせて少しづつ回りながら合唱する。笑っている人も泣き出しそうな人も照れくさそうな人もすまし顔の人も、一人ひとりが活き活きと「オンリーワン」の声で大合唱を・・・と言いたいが、実際は烏合の衆のどよめきか・・・。まっ、ご愛敬。

ところで、そのテーマ曲を口ずさむにつけ必ず思うことがある。「ナンバーワンにならなくてもいい」と唄うその裏で「ナンバーワンになろうよ」と唄っている気がしてならないのだ。表現をかえると、現状に甘んじる「もともとのオンリーワン」から、頑張ってナンバーワンを目指す「特別なオンリーワン」になろうよ、ということだ。わざわざそんな裏を読みたくなるのは、曲中のフレーズ「頑張って咲いた花はどれも綺麗だから」である。そして、この曲を唄っていたSMAPが当時の人気アイドルグループで名実ともにナンバーワンだったからである。

ただ、少し穿った見方をすれば「ナンバーワンの俺たちが言うんだから」という頂上から目線の「おせっかい」なのかもしれない。そんなSMAPの解散騒動が再燃しているようだが、彼らは逆にオンリーワンに戻りたいのだろうか?それはさて置いといて・・・。

  • ナンバーワンの響き

民主党政権時代、世界一を競い合うスーパーコンピュータ「京」の事業仕分けの席で蓮舫議員が「世界2位じゃダメなんですか!」と迫った。反対に、リオ五輪である柔道選手がメダルの色について「金と銀では天国と地獄ほどの違いがある」と語った。誰が見ても後者が正解である。「京」開発者にしてもアスリートにしてもナンバーワンの響きでしか心は振動しないのである。銀メダルを取って負けの涙を見せた吉田沙保里選手がそのことを証明している。逆にもし、蓮舫議員が以前の考えのままならば民進党のトップにはふさわしくない。

  • 自分だけのナンバーワン

では、ナンバーワンとは、他と競い合って勝ち取るものなのか?私は必ずしもそうは思わない。対照的な事例を二つ見ていただきたい。

①人類で初めて6mを跳び、自己の世界記録を35回も塗りかえた棒高跳びのブブカ選手が金メダルを取ったあとは、自分との戦いだった。

脊髄性筋萎縮症のため顔と左手親指を除いた部位が動かない「寝たきり芸人・あそどっぐ」さんは、「ブスと障害者は三日で慣れる」と障害を隠すことなく、むしろ強みとして、顔芸や自虐コントを発信している。

二つに共通していることは、自分が決めた「自分だけのナンバーワン」に立ち向かっていることだ。そして、それを目指す人が、とりもなおさず「特別なオンリーワン」なのである。

お笑い芸人界のパラリンピック「SHOW-1 グランプリ」に挑戦する「あそどっぐ」さんは、「病気を理解して欲しいとか、同情して欲しい訳ではなく、お笑い芸人として見て笑って欲しいだけです」と話していた。 (Sakai)