”It takes a village” 「村一つが要る」  ~前 編~

”It takes a village” 「それには村一つが要る」が直訳だが、「村中みんなで」と訳すのが自然である。

もともとはアフリカの諺で、時の人、ヒラリー・クリントンがかつて自著のタイトルに使って有名になった言葉である。そのあとに ”to raise a child” と続けて、「子供を育てるには村一つが要る。」「子供は村中みんなで育てる。」という意味になる。

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  • シンプルさが時代を超える

”It takes a village to raise a child.” は、一説にネイティブアメリカンの諺とも言われるが、そういえば過去にこんな話を取り上げたことがあった。

『ネイティブアメリカンのナコタ族には、婿を選ぶ基準というのがあるそうだ。それは、男が狩りから帰って来た時、獲物をまず誰に与えようとするか!である。自分の家族で独占する男は?・・・もちろん失格!好きな女性の家に持っていく?・・・これもダメ! “親を亡くしたり、夫を亡くしたりして、部族の中で一番困っている人に先ず獲物を持って行くかどうか” 父親は、娘に言い寄ってくる男たちの、ただその一点を見極めたという。』

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「子供を育てるには・・・」と視点こそ違え、「弱い人を他人の力で支える」というシンプルな考え方において双方同じだといえる。そして、シンプルだからこそ時代や文化を超えて今に受け継がれる普遍的価値を持っているのだろう。「村中みんなで弱い人を支える」この考え方は、「地域で社会的弱者を支援する」社会制度として現代社会に受け継がれることになった。

  • 複雑すぎる日本の福祉制度

そこで近年、日本の行政は欧米の福祉先進諸国に見習い、社会的マイノリティに対する支援制度を作った。児童、高齢者、障害者をその主な対象として、それぞれに一定のルールを作り、それまで行き当たりばったりで行われてきた行政措置を福祉事業として民間に丸投げしたわけだ。ところがその内容は、外から見ても内から見てもシンプルとは正反対の複雑で分かりづらいものになってしまった。

我々に身近な障害福祉サービスを例にとってみると、身体、知的、精神、それぞれの障害度等級と支援区分の足し引き掛け合わせを基に、おそらく100種類は超えてしまうだろうサービス形態の「枠」が作られていて、そこに利用者と事業所および時間数の組み合わせを当てはめることになる。

利用者も事業所も通常複数のサービス枠を持っているので、それらの組み合わせパターンを一覧表にしようとすると最低でも(時間数を加味しないでも)その地域の(利用者人数 x 事業所数 x サービス形態数)= 相当な数のセル、即ち「枠」が必要となるわけだ。

仮にMicrosoftExcelならば、あっけなくフリーズしてしまうだろう。よくもまあ、厚労省の役人はそこまで複雑なことを考えたもんだと感心するわけだが、私に言わせれば、複雑ゆえに頭がオーバーヒートした単なるイモ頭だ。しかし、これぞ彼らの既得権益なのだから仕方がない。我々事業者だけでなく地方の役人も、イモ頭が作った複雑すぎるマトリックスの窮屈なセルの中で福祉サービスを実施しているといえるのだ。これでは時代を超えて受け継がれるどころか、近い将来に制度破綻を招くだろう。

”It takes a village” 「村中みんなで」すなわち「地域で支える」ために必要なルールとは何か。村のルールに国が口出しする必要があるのか。もし、私が決めていいなら、迷うことなくナコタ族の酋長を探すだろう。          ・・・後篇に続く

(Sakai)