酒は百薬の長

私ごと、三十才初め頃、仕事によるストレスがたたり、不眠症からアルコール依存症に陥った。加えて肝機能障害も。そして、医師の指示でしぶしぶ酒を断ち、代わりに精神薬を服用するようになった。

ベンゾジアゼピン系精神安定剤、一般的な向精神薬である。ところが、薬で眠ることはできてもストレスは一向に減らず、数年間で煙草の本数が40本へと倍増した。それにも増して薬依存症になっている自分が嫌でたまらなかった。そこで、アルコール性肝障害度を示すγGTPが正常値圏に収まったことを機にドクターにこう切り出した。

「以前は酒がないと夜眠れなかった。今は薬がないと夜眠れない。どのみち飲まないと眠れないなら薬やめて酒に戻して下さい」と、ドクターはすぐに切り返した。「バカを言うな。急に薬を止めたら必ず反動が来るぞ」と、ムッと来た私は「バカはどっちだ!? そもそも石油から出来た物が体に良いわけがない、患者の意思を尊重しろ!」と、ドクターは「わかった、そう怒るな、じゃあ条件を出そう。まず、直ちに煙草を止めること!  それから少しずつ薬からアルコールに切り替えること。できるか?」続けて「酒は百薬の長、煙草は百害あって一利なし」と、私をなだめすかした。

今思えば、そのドクターとのフランクな会話からいろいろ教わった。①心身を狂わせる元凶はストレスである。②酒はストレスを取除く薬であり、かたや肝機能を犯す毒である。いわば諸刃の剣だ。③向精神薬は、一時的対処療法でありストレスは除去できない。また、常習すると薬依存症に陥り、ひいては脳を破壊する。

人間、とかく好きなことにかまけて、我が身の健康をおろそかにしてしまう。酒に限らず、煙草、ゲーム、性風俗、ギャンブルなどは依存症に要注意だ。だから、福祉の現場ではそれらのほとんどを禁止またはタブー視している。そして、ルールを守れない利用者を見つけるとすぐに精神科に連れて行く。これじゃあ医者の思う壺だ。彼らを薬漬けにしているのは何処のどいつだ!?福祉事業所の責任は保護者同等に重いことを我々は自覚しなければならない。

話は戻るが、あのドクターに言われてから二十余年、私は石油合成品(精神薬)を服することなく、米や麦や葡萄から造られた大自然の香り漂う酒を嗜みながら安眠の日々を送っている。

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そして、時々こう思う。そもそも、嗜好習癖を断ち切ることは間違った手段ではないだろうか。なぜなら、嗜好習癖は人間の根源的欲望だからだ。よって、それらを断つのではなくコントロールしていく、すなわち「毒を制して薬となす」方法を我々は学んでいくべきであろう。

 (Sakai)