30年間モノづくりの世界に生きてきた私が、その原点に立ち戻るきっかけとなった話です。
癌で余命半年を宣告された母親が、自分亡き後に残される5才の娘、はなちゃんに対し、ひとりで生きていく上で何が必要で、何を伝え、何を身に付けさせるべきかを思い悩んだ。それは、掛け算でも漢字でも英語でもなく、家事をすること、中でも「ごはんを作る」ことだった。
やがて半年が経ち母親を亡くしたはなちゃんは、ある日、帰りの遅い父親にメッセージ付きの夕食を作る。“お父さんのごはんを作るのが楽しいです。” その後、はなちゃんは父親との生活の中で、母を感じながら父を思い、父親もまた、娘とその母に感謝しながら精一杯の生活を生き生きと続けていく。
この事実を知り、当時、香川県の小学校長だった竹下先生は、親や教師のブーイングを押し切り、自分の小学校で3つの決まりのもと「弁当の日」を始めた。 1.子どもだけで作る 2.小学校5,6年生のみ 3.年数回。 始まって1回目は、親の手助けで弁当を作っていた子どもたちも、2回目からは、自分だけで作ったことを自慢するようになり、次第に目つきも変わり生き生きと自立していく。
それを見てきた下級生は自分たちにも早く「弁当の日」が来ないかなと思うようになり、やがてそのことを喜ぶ親や教師たちが変わり始め、家庭や学校が変わり、そして地域まで変わってきた。
竹下先生はこう言う。
”お母さんが1時間かけて作った弁当には、お母さんの1時間分の命が詰まっている”
最後の11回目が終わった子どもたちの卒業に、竹下先生はこんな言葉を贈った。
食事を作ることの大変さが分かり、家族を有り難く思った人は優しい人です。
手順良くできた人は、給料を貰える仕事についたときにも、仕事の段取りのいい人です。
食材が揃わなかったり、調理を失敗したりしたときに献立の変更ができた人は工夫できる人です。
友だちや家族の調理のようすを見て、技を一つでも盗めた人は、自ら学ぶ人です。
微かな味の違いに調味料や隠し味を見抜いた人は、自分の感性を磨ける人です。
旬の野菜や魚の、色彩・香り・触感・味わいを楽しめた人は、心豊かな人です。
一粒の米・一個の白菜・一本の大根の中にも「命」を感じた人は、思いやりのある人です。
スーパーの棚に並んだ食材の値段や賞味期限や原材料や産地を確認できた人は、賢い人です。
食材が弁当箱に納まるまでの道のりにたくさんの働く人を思い描けた人は、想像力のある人です。
自分の弁当を「美味しい」と感じ「嬉しい」と思った人は、幸せな人生が送れる人です。
シャケの切り身に、生きていた姿を想像して「ごめん」が言えた人は、情け深い人です。
登下校の道すがら、稲や野菜が育っていくのを嬉しく感じた人は、慈しむ心のある人です。
「あるもので作る」「できたものを食べる」ことができた人は、たくましい人です。
「弁当の日」で仲間がふえた人、友だちを見直した人は、人と共に生きていける人です。
調理をしながら、トレイやパックのゴミの多さに驚いた人は、社会を良くしていける人です。
中国野菜の値段の安さを不思議に思った人は、世界を良くしていける人です。
自分が作った料理を喜んで食べる家族を見るのが好きな人は、人に好かれる人です。
家族が手伝ってくれそうになるのを断れた人は、独り立ちしていく力のある人です。
「いただきます」「ごちそうさま」が言えた人は、感謝の気持ちを忘れない人です。
家族が揃って食事をすることを楽しいと感じた人は、家族の愛に包まれた人です。
--滝宮小学校の卒業生に贈ったことば・卒業文集への寄稿より引用--
利用者一人ひとりに、いつかそんな言葉をかけて上げることを夢に描きながら、ムーンワーカーズ作業所を開所いたしました。これまでご支援ご協力いただきました関係者の方々、そして地域の皆様に、心よりお礼申し上げます。
2011年8月8日
株式会社ムーンワーカー 代表 坂井与志久