アリのままにマイノリティ

 働かないアリの存在意義

「働かないアリがいるからこそ、アリの社会は長く存続できる」という興味深い研究成果が、北海道大学長谷川准教授らによって発表された。アリのコロニー(集団)には、ほとんど働かない個体が常に2割程存在する。過去の研究では、働かないアリを排除して働くアリだけのグループを作っても、働かないアリが必ず一定割合現れることが確認されていた。しかし効率がセオリーである自然界に、なぜこのような非効率が存在するのかが大きな謎だった。

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長谷川氏によると、

「約2割のアリは働きたくないから働かないわけではなく、周りに働いているアリがいなければ普通に働くのです。つまり外部からの刺激に対して感度のばらつきがあるということです。このような仕事に対する腰の軽さの個体差を『反応閾値(いきち)』と呼んでいます。必要な仕事が現れると、反応閾値の最も低い一部のアリがまずは取り掛かり、別の仕事が現れたらその次に閾値の低いアリが・・・と、個体間の反応閾値の差異によって、必要に応じた労働力がうまく分配されているのです。」 でも反応閾値が皆同じで、全個体で一斉に仕事をしたほうが処理量は増えるのでは?という問いに対しては、「皆が一斉に働くシステムだと、皆が同時に疲れてしまい、誰も働けなくなる時間が生じてしまいます。コロニーには、卵の世話などのように、短い時間でも中断するとコロニーに致命的なダメージを与える仕事が存在しているのですが、それまで働いていなかったアリが働き始めることで、労働の停滞を防ぐ。つまり、働かないアリがいるシステムの方が、コロニーの長期的な存続が可能になるということです。」と説明している。

 人間社会のマイノリティゾーン

さて、人間社会にもマイノリティが存在する。ただし、アリ社会のように単純で寛容とはいいがたい。単一民族国家日本では、在日外国人、少数民族、同性愛者、ホームレス、低学歴者、児童そして障害者などのマイノリティが、ともすれば偏見やいじめの対象となりがちだ。とりわけ、福祉施設での差別や虐待が社会問題化している昨今、おりしも今年4月より障害者差別解消法と障害者虐待防止法が同時に施行されることになった。しかし、はたしてこれで問題がなくなっていくだろうか。目に見える身体的虐待ならともかく、精神的虐待、即ち差別偏見については、その解消に50年、100年単位の時間が必要となるだろう。なぜならば、徳川時代300年間に培われた縁故的排他主義と明治以降から続く多数派絶対主義、即ち似非民主主義が現代日本のマジョリティに深く根付いているからだ。マジョリティのほとんどはマイノリティゾーンを理解していない、いや、理解しようとしないのである。そんなマジョリティが作ったルールの効力がいかほどのものか、想像するに難くない。

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働かないアリの存在意義を実験で証明した長谷川准教授は、「我々の社会においてもムダを省くばかりではなく、ムダを楽しめる「余力」のようなものが必要なのかもしれません。」 と締めくくっている。

人はアリのままに生きられないのか? さしあたり、人間はアリ以下の存在なのである。          (Sakai)