尾張旭市内で精神障害者向けグループホーム建設の反対運動が起きている。偶然、自分の町内であったため、図らずも私はその運動に巻き込まれた。
住民側意見を要約すると「精神病の人が外に出歩いては夜眠れない」「小さな子供たちが安心して遊べない」「老人介護施設ならともかく精神障害者施設ならよそでやってくれ」「我々の資産(土地)価値を下げる行為だ」など精神障害者への偏見のかたまりだ。
そ んな差別排他的発言のつど、住民側から拍手が起こる。住民全てが反対を唱える中で施主(事業主)だけが孤軍奮闘する、まさに多勢に無勢。精神科看護師の経 歴を持つ施主は、精神障害者の特性や彼らの受入れ施設の必要性を丁寧に説明するも、「若くて事業経験のないあなたが信用できない」「あなたに経営は無理 だ」「あなたは身勝手な人だ」と次は個人攻撃の応酬。どっちが身勝手なのか、子供の言い訳にもならない稚拙な言動である。
7回におよぶ集会の5回目から出席した私は、中立的なスタンスで着地点を見付けだそうとしたが、あくまで話は平行線のまま。あげくの果てに「多数決で決めようや」と鶴の一声ならぬズルの一声も。
群がらねば物も言えない上に正しいか否かではない「数の論理」、即ち日本の似非(えせ)民主主義の縮図がこんな身近にあった。「もう時間と労力の無駄使い(集会)やめちゃえば」と私は施主に言った。
原発、核廃棄物処理場、米軍基地など政府、族議員の利権保持に対し、住民の権利を守るために反対することは当たり前の道理。しかし、社会的弱者を守ろうとする活動に対し、住民の権利だけを主張するのは卑怯な集団エゴイズムである。 ( Sakai )